2006年1月21日 (土)

京都府の市町村はどうなったか?

●京丹後市16.4.1: 中郡峰山町・大宮町、竹野郡網野町・丹後町・弥栄町、熊野郡久美浜町の合併により成立
●与謝野町18.3.1: 加悦町・岩滝町・野田川町の合併により成立予定
●福知山市18.1.1: 福知山市・三和町・夜久野町・大江町の合併により成立
●南丹市18.1.1 : 船井郡園部町・八木町・日吉町、北桑田郡美山町の合併により成立
●京丹波町17.10.11: 丹波町、瑞穂町、和知町の合併により成立
●京都市17.4.1:  京北町が京都市へ編入合併
●未定  :    木津町・加茂町・山城町の合併により成立
○和束町○笠置町○精華町○南山城村
○宇治市○城陽市○八幡市○京田辺市○久世郡久御山町○綴喜郡井手町○宇治田原町
○向日市○長岡京市○乙訓郡大山崎町
○宮津市○伊根町   
○は、今まで通りの市町村  ●は、統廃合の市町村

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2005年11月 8日 (火)

平等院鳳凰堂

平等院鳳凰堂の輝き f158

平等院鳳凰堂がライトアップした池に映った姿は、生れて始めての景観だった。昼の鳳凰堂は何回も見たが、夜の姿は格別だった。
10円銅貨でイメージするが、想像が出来ない。実像は池に映った波が
生きているように照らす、胸像も池に映った鳳凰堂の全体像が大きく生きているように波を被っている。表現はうまく出来ないが平等院鳳凰堂の輝きを見た。
平等院の中心的な建造物である阿弥陀堂が鳳凰堂と呼ばれるようになった。正面には阿弥陀如来坐像が安置され、雲中供養菩薩像が琴・琵琶・鼓・笙などの楽器を持っているもの、舞うもの、合掌するものなどその姿は多種多様であります。
梵鐘・鳳凰・扉絵など雲中供養菩薩像が見やすいように陳列ケースに収まっていた。
鳳凰堂の回りは暗く、砂利道では車椅子を押すのは大変だったに違いない。妻に感謝し平等院を後にした。

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2004年4月30日 (金)

●ひるがの高原・荘川桜・白川郷に行く

4月29日の朝、7時45分JR宇治からバスに乗って一路ひるがの高原に向かった。ひるがの高原では、湿原の水芭蕉、座禅草を大日岳の残雪をバックにしてひるがのに遅い春を写真に撮った。
御母衣ダムの建設によって村の3分の1が湖底に沈んだ(鳩谷ダム)。昭和35年、御母衣ダムの完成によって作られた人造湖だ。ダム建設により230戸、4つの地域が湖底に沈んだ。
荘川桜は、御母衣湖畔の展望台にある2本の巨桜で樹齢450余年、樹高約20m、幹周約6mといわれ御母衣ダム完成前は湖底に沈んだ中野照連寺と光輪寺の境内にあったものだった。
白川郷に着いたのは2時前だった。つり橋(出会い橋)を車椅子で押してもらい景色は最高だった。展望台、合掌造り民家園、白川八幡神社、明善寺、国重文和田家などを見て回ったが・・・・・・車椅子では充分に把握出来なかった。
大日岳の残雪を目のあたりにして冬には豪雪があるんだろうなと思った。

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2003年12月27日 (土)

冬の金沢

今日は6時半に起きた。まだ暗かった。
金沢に行く予定だったが、昨日の寒波襲来で高速道路は雪や凍結で大丈夫かな、渋滞に一抹の不安があった。
道路は凍結防止剤を散布して、路面がアイスバーンになるのを防ぎ、積雪が進めば除雪車を走らせていた。お陰で渋滞や速度制限50Kmでバスが一部区間で走行・・・・金沢には12時過ぎに着いた。
近江町市場は鮮魚通りと青果通りがあって5ブロックに分かれていて、京都の錦市場を連想するが人通りは多く、市場の範囲は5倍は有にある広さだった。私は人人人で歩けないのでコーヒーを飲みながらみんなの土産を買うのを待っていた。
金箔の歴史を見学では、1万分の1ミリの厚さに仕上げる極限の技術を見た。
兼六園は雪の重みで損傷を受けないようにと、樹木に雪吊りがある。また徽軫灯籠(ことじとうろう)がたたずむ姿には趣深いものがある。冬景色の兼六園の美しさは、日本三名園である岡山後楽園、水戸偕楽園と比べてみても別格であった。

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2003年10月31日 (金)

正倉院展と私のしごと館

古都の秋を彩る正倉院展、東大寺大仏に献納した聖武天皇・光明皇后ゆかりの品々と東大寺で用いられた仏具や献物几(けんもつき)・献物箱、奈良時代の衣装や佩飾品(はいしょくひん)、薬物と顔料、文書類など66件です。
主なもの
①平螺鈿背円鏡(はいらでんはいのえんきょう) で琥珀(こはく)の深い紅色、トルコ石の青緑、ラピスラズリの藍(あい)。貝殻は白く、時に薄紫に煌(きら)めく。
②鳥毛篆書(てんしょ)屏風
③羅道場幡・・・・・(法要にかけた幡)
④十合鞘御刀子(じゅうごうざやのおんとうす)・・・・・(十本組の小刀と工具) 
⑤紅牙撥鏤尺(こうげばちるのしゃく)・・・・・(象牙のものさし) 
⑥馬鞍(うまのくら)
⑦丹(たん)・・・・・(えのぐ・ガラスの原料)
⑧白瑠璃高坏(はくるりのたかつき)・・・・・(ガラスの高坏)
⑨桑木木画棊局(くわのきもくがのききょく)・・・・・・(碁盤)

昼からは私のしごと館(京奈和自動車道 精華学研IC降りてすぐ)に行った。
●仕事体験ゾーンは、先端技術、ものづくりの仕事、機械工作の仕事、大型製品組み立ての仕事、印刷の仕事 、小型製品組み立ての仕事、精密製品組み立ての仕事、食品製造の仕事、食品製造の仕事です。
●仕事検索ゾーンは、暮らしを支える多種多様な職業やしごとの組織プレーを体感するゾーンです。
●仕事歴史・未来ゾーン
●じぶん発見ゾーン
●仕事情報ゾーンなど広い広い館内は、集合時間にまにあわなかった。

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2003年7月16日 (水)

4協の旅行で玉造温泉に行った(7月13日~14日)

4協とは、視覚、難聴、ろうあ、肢体の身体障害者を言う。バスは1号車に乗りましたが、乗客は難聴、ろうあ、肢体の一部と2号車は肢体、視覚でした。バスの乗り降りは、私の身体が動かず非常に迷惑だったと思った。要約筆記、手話が意思疎通に使われたが、要約筆記は分かったが手話は全然分かりませんでした。少しでも分かるといいなと思った。
名神京都南から茨木インターー中国自動車道ー落合JCTー米子自動車道ー宍道湖ー足立美術館ー宍道湖の南を走る国道9号線の山側、玉湯川に沿って宿が並ぶ玉造温泉に着いたのは、5時30分頃でした。高級旅館が建ち並ぶ古きよき湯の里。古代ロマンに思いを馳せての露天風呂は何処か。
梅雨の初日は、雨また雨で高速のトイレ休憩も傘させず合羽を着て大変でした。

名園につつまれ、名画に染まる。
日本の美の粋を極めた足立美術館に魅力を感じた。
「ホテル玉泉」で楽しみたいのは、美人の湯(効能は神経痛筋肉痛関節痛胃腸病肩こり冷え性腰痛美肌運動器障害リューマチ婦人病高血圧動脈硬化症湿疹)と日本海の幸、さらに宍道湖七珍といわれる郷土料理です。

2日目は出雲大社と由志園と境港のさかな市場です。
出雲大社は、だいこくさまと慕われる大国主大神。
境港は「鬼太郎に逢える街」漫画家 水木しげる氏のふるさとなんです。由志園は、牡丹と高麗人参の里。四季の花々に彩られた回遊式日本庭園と郷土料理(昼食)。

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2003年5月22日 (木)

空海と高野山(京都国立博物館)

京都国立博物館は東山七条を西に入る。人、人、人、車、車、車でどこから来るのか・・・・・中も一杯入場制限があった。
車椅子に乗って回ったが、人、人、人をよけても人にあたるし、文化財と美術品見るのもままならぬ。
タイトルは「空海と高野山」空海が中国にわたって密教に出会ってから1200年になるのを記念し、密教の総本山高野山に所蔵される文化財と美術品を展示された特別展覧会です。
音声ガイドに沿って「プロローグ」「大日如来坐像」「金銅三鈷杵」(こんどうさんこしょ)「伝弘法大師所持」「不動明王坐像」「八大童子立像・運慶作」「弘法大師・丹生高野両明神像」「阿弥陀浄土曼茶羅図」と・・・・・~「エピローグ」のテープを聞いていた。
一方、高野山は「金堂」一山の総本堂として重要な法要が営まれています。弘仁10年(819)に弘法大師が創建。    「大門」「御影堂」「根本大塔」「不動堂」「西塔・東塔」「金剛峰寺」「霊宝館」「女人堂」「苅萱堂」「徳川家霊台」「奥の院」「参道」「灯籠堂」がある。
高野山は難波から高野山駅まで1時間30分のとここにある。小学校・中学校・高等学校・大学までの市街化地域、一回行ってみたいな!

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2003年3月31日 (月)

姫路城と津山鶴山公園へ

宇治駅7時45分発で「姫路城と津山鶴山公園」に向かった。
京都南から名神・中国・山陽道経て、世界遺産にも選ばれた姫路城に着いた。
桜は蕾み膨らむといった感じだ。車椅子に乗った私は、いつも思うのは押す妻が大変でした。85キロ超を乗せた車椅子は、自分の思うところに行かない。体中に力が入る私と妻・・・・
広い姫路城は、多くは観られないので 
①国宝の城と言えば松本城・彦根城・犬山城・姫路城 
②播州皿屋敷の「お菊の井戸」
③徳川二代将軍「秀忠」の子・千姫(7歳)が、秀吉の子・「秀頼」と政略結婚など教養として持ち帰った。
津山鶴山公園は、日本桜の名所100選に・・・・・
5000本の桜が咲き乱れ、花見客で賑わいます。階段が多く私と妻は、鶴山の美観をイメージだけで終わった。明治維新後に城郭は廃城し、鶴山公園になった。
皆さんの3~5倍の時間が必要とされたが、ホームページを観て補完した。

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2002年12月16日 (月)

鎌倉大仏・鶴岡八幡宮の歴史を訪ねて

12月15日(日)晴れ ・ 横浜からスタート
車で2時間ほど掛かり鎌倉大仏(高徳院)に着いた。勿論車椅子も車に乗ってきて必要な場合は、私の行動を助けた。
生まれてはじめて見る大仏、痛みがはげしいが年代を感じさせる阿弥陀如来坐像です。木造から青銅に、大仏殿も建造されたが、台風・大津波でながされ、関東大震災を経て現在に至っている。
大仏の建立は、源頼朝の意志を継いで、1243年に淨光僧が木造で完成した。台座を含めた高さは、13.35m・重さは120tと言われています。
大仏の周りの木々には、リスが多くいた。
車の移動で若宮大路を通って鶴岡八幡宮に着いた。源平池は左右に分かれて、その真中を太鼓橋がかかっていた。
下拝殿(舞殿)・・・・・階段したから本宮の祭神を拝む。 若宮(下宮)・・・・・・ 仁徳天皇など4神を拝む。
本宮(上宮)・・・・・・八幡大菩薩 (応神天皇)を主祭神を拝む。 段葛(だんかずら)・・・・・若宮大路の中央部に、二の鳥居と三の鳥居を結んで一段高く土盛りされた歩道。
本宮は階段がきつく上がれなかった。
1180年に源頼朝が鎌倉入り、その後源頼義が奥州征伐した帰途、勅許を受けずに石清水八幡宮を勧請した由比若宮を遥拝し、平家討伐と天下統一を誓った。と言う鶴岡八幡宮は、正月3か日で200万人を超える参拝を待っている。
横横線を車で走っていると、丁度逗子の海岸の辺りで江ノ島と富士山を見た。思い出を多く家路に着いた。

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2002年12月 1日 (日)

日本三景天橋立に行く

またも6時起きで、眠たい目を擦り朝飯を食べた。
左手左足は、思ったより時間を費やした。洗面・服の着替え・トイレを済ませ行く準備が整った。
集合場所「兎道」まで、車に妻を乗せていった。バスは京阪宇治交通の「うらら」に乗り換え、目的地に向かった。
成相山は「又覗き」や「西国三十三か所第28番札所」で有名ですが、坂がきつくてケーブルやリフトまで行けない。しかたがなかって1時間ほどバスの中で寝て過ごしたが・・・・・・・
「かって天と地を結ぶ架け橋だったとの伝説が残る天橋立。ゆかしき情景」は見ることが出来なかった。
昼は天橋立温泉「文殊荘」でカニ料理を食べた。カニは一人で食べられないので、妻に「身」を取って貰って食べた。他人には「ありがとう」が言えるが、妻には言えないもどかしさ、何時かは言いたいと思いつつ。・・・・・・
帰りは西舞鶴経由で28日(木)に行った「舞鶴港とれとれセンター」
に寄った。カニ・鮮魚・岩がき・かまぼこなどが店頭に並んでいた。
今日は妻が来てくれたので、私はのんびりとリハビリを兼ねて見て回った。
舞鶴自動車道・京都縦貫自動車道を通って7時過ぎに兎道まで帰った。
(●●さんありがとう)

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